2026.01.12
令和8年初点の会

初点と書き「はつだて」と読みます。
一昨年は主家が喪中、昨年は当家が喪中につき、お客様を招かず、2年続いてお稽古始めとして行いました。
2班に分けて濃茶→薄茶 薄茶→濃茶の組分けで
1席目を濃茶で迎え、2席目を台子薄茶を社中交代で員茶で回し、これを稽古としました。相互による薄茶は目標3周とし、1周目は粟田焼、2周目は相馬焼、3周目に弘入の赤樂を置いて、3周目を目指すように言いましたが、どちらの班も2周が限界だったようで念願の樂には届かなかったようです。
使い回しを避けるため、茶巾を交換するようにしました。
彼らがお点前中私は小間にいて、柄杓を落とすわ、練香が効きすぎるわで、それでももっともらしい顔つきで四苦八苦のお点前でした。この写真を後から見て、胸を撫で下ろすのでした。
床の飾りつけです。
赤穂藩主森忠哲公による龍虎の一行。
森家はこの時代では源氏を称していたので源忠哲と記します。
一文字と風帯には森家伝来の快翁模様が印金で描かれています。
龍虎はこの世で最も強い存在を合わせ書いたもので、魔除けとなり、縁起が良いこととされます。
裏千家家元でも初釜では3代千宗旦筆の龍虎が掛けられます。
森忠哲公は20代で早世したお殿様で墨蹟はほとんど残っていません。現在4点確認されるのみで、そのうちの2点が当家、残りは個人蔵と赤穂市立歴史博物館蔵と聞きます。
掛け花入には紅白梅と南天を入れました。
南天には難を転じるという意味があります。
床には森忠政公の嫡男、森忠広の前田亀鶴姫の嫁入り道具を並べて飾りました。加賀藩主前田利常と德川秀忠の長女珠姫(お珠)の長女で、秀忠の初孫であった亀鶴姫。外祖父の計らいで将軍家光の養女となり、森家に輿入れした森家最大の婚礼でした。亀鶴姫はその後まもなく亡くなりますが、嫡男を設けていたら森家は前田家や伊達家と同じく松平姓になっていた事でしょう。





